定専坊
上新庄
じょうせんぼう
社寺・史跡・建造物
定専坊は、行基菩薩の手によって創建され、真言宗に属して「西光寺」と呼ばれていました。
南北朝時代の建武三年(1336)、湊川の戦いに敗れた楠正成は自刃しますが、その孫であった二郎左右衛門尉正勝がこの地に隠棲しました。今境内に伝わる五輪塔は、正勝公とその子正盛、信盛両公を偲ぶものと言われています。
その後、本願寺第八代門主蓮如に帰依した住職浄賢は浄土真宗に改宗し、寺号も「定専坊」に改めました。以降本願寺と強い絆が築かれていきますが、浄賢の孫了賢の時代に石山戦争『元亀元年(1570)~天正八年(1580)』が起こります。講和によって戦いが終結した直後、石山本願寺は信長によって火を放たれ、三日三晩燃え続けました。
そのとき本願寺から運び出されたのが当山の『梵鐘』で、天正時代の鐘声を響かせつつ、今に伝えています。
基本情報
住所
大阪市東淀川区豊里6-14-25
ウェブサイト
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アクセス
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